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山田浩二被告,寝屋川事件の裁判で真相が!Facobookでカレーを投稿?生い立ちから最新公判まで

こんにちわ。やまだです。

大阪府寝屋川市の平田奈津美さんと星野凌斗くんを2015年8月に殺害し、殺人罪に問われた山田浩二被告。

起訴状によると、山田被告は8月13日、大阪府内周辺で、平田奈津美さんと星野凌斗くんの首を圧迫するなどして窒息死させたとされていますが、

今までの公判中には食い違う供述が多数あります。また事件を起こした翌日にFacobookでカレーを投稿していたり反省をしているそぶりがありません。

そこで、寝屋川事件の詳細、山田浩二被告の生い立ち、今までの公判内容、第5回公判(11月14日)から第8回公判(11月20日)の内容までを詳しくまとめ真相を追及していきます。



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山田浩二被告の生い立ち,寝屋川事件について

山田浩二被告の生い立ちや、経歴、寝屋川事件の概要から第4回の公判まではこちらにまとめていますので、

よろしければこちらでご確認ください。

山田浩二被告は、2015年、当時13歳の平田奈津美さんと星野凌斗くんを連れ去り、殺害した容疑で逮捕されました。平田奈津美さんと星野凌斗くんがご存命であれば高1になる年齢です。 そんな山田浩二被告の生い立ちから現在までをまとめました。寝屋川事件の判決は死刑になるのか。裁判で土下座して謝罪?最新の公判情報を追記しました。

これまでの公判では、

検察側は、山田浩二被告が13日夜までに星野凌斗くんを殺害し柏原市の竹林に放置し、平田奈津美さんの遺体も大阪府高槻市の駐車場に置いたと主張。

弁護側は、奈津美さんについては傷害致死罪、星野さんについては保護責任者遺棄致死罪の適用を求めていました。

山田浩二被告,寝屋川事件の第5回公判は?

第5回公判の冒頭で

今月1日の初公判では山田浩二被告が勝手に土下座する一幕があったため、

裁判長が「この間のようにしたら駄目ですよ。ちゃんと座ってください」と、うながすところからスタートしました。

初めての被告人質問で、山田被告は2人を車で連れて行った経緯を説明し、

「家まで送るため声をかけた。無理やり乗せたのではない」と述べた。

さらに星野凌斗くんについては、車内で大量の汗をかいて動かなくなったと説明した。

山田浩二被告の証言

事件当日の8月13日午前1時ごろ、山田被告は駅前で話している事件被害者の2人と偶然会ったそうです。

「何しているの」と尋ねると平田奈津美さんは「雨宿り」と答え、いったん別れました。

明るくなってから再会し「家に送ったろうか」と声をかけた。

山田浩二被告は家出だと思ったそうですが、平田奈津美さんに「どこかに連れて行って」と頼まれて車に乗せたと述べた。

また、平田奈津美さんが「家に帰りたくない。京都に行きたい」と要求。

拒否すると「『無理やり車に乗せられた』と警察に説明する」と言われたという。

被告は東京で職務質問を受けたこともあり、「事実にないことを警察に言われ、生活を失いたくなかった」と当時の心境を語りました。

平田奈津美さんが携帯電話を触ったため「通報されたと思って怖くなった」とも述べた。

「今から京都に遊びに行く」などと山田被告自身が考えた文面を打つように平田さんに頼みました。

一方、星野凌斗くんは体調が悪そうだったため、平田さんに「寝たら治る」と言われ、睡眠導入剤の錠剤を渡した。

その後、車内で大量の汗をかき始め、息をしていないことに平田奈津美さんが気付いたと説明。

その後、星野凌斗くんは大量の汗をかいて震えだし、ぐったりしたという。

星野凌斗くんが車の中で亡くなっていると気づいて「パニック状態になった」と語りました。

遺体を隠すことを考え、同府柏原市内に目立たない山道があることを思い出したと述べた。

弁護側から遺体をどうしたかたずねられると「粘着テープを巻いて隠せば、消えると思った」などと話し、余った粘着テープは遺体の遺棄現場近くの川に捨てたとしました。

山田被告は「遺体を連れて帰ってやりたい・・・一方で『隠したけどもし見つかったらどうしよう』という思いがありました」と話しました。

検察側からの追及

事件の翌日、山田浩二被告のスマホで「DNA鑑定」「処理」などと検索していたことを問いただしましたが、

山田被告からは「記憶はないです」とのこと。

ショック療法で生き返ると思いカッターナイフで切り付けたとの証言に対し、
検察側
「生き返れと思ったなら、生き返ったか確認するのではないですか」
「平田さんの顔にガムテープが貼ってあるなら、生き返っても息ができる状態ではないですよね?」

山田被告
「見てないです」
「そこまでは考えてなかった」

また、山田被告が8月21日、星野凌斗くんを遺棄した大阪府柏原市の竹林に立ち寄り、

大阪市内のサウナで拾った他人の体液が付いたティッシュなどを遺体の周りに置いたと指摘しました。

検察官から目的を問われた山田浩二被告は、いったん「無我夢中だった」と答えたが、

再度の質問に30秒以上沈黙。「他人のせいにしたいという気持ちが強かった」と認めた。

第6回公判(11月15日)医師からの真相を証言

弁護側は「山田浩二被告には精神障害があり、犯行時、責任能力が低下していた」と主張。

しかし山田浩二被告を精神鑑定した医師への尋問が行われ、医師からは、
「山田被告は、おおげさで、演技的で、攻撃的な性格がみられるが、統合失調症やうつ病などの精神障害は認められない。
 また、軽度の発達障害はあるが、犯行に直接的な影響は及ぼしていない」と証言しました。

第7回公判(11月19日)

検察は山田浩二被告が1991年~2002年に14歳から17歳の11人の少年について、

車に連れ込んだり手錠をかけて監禁しわいせつ行為を行ったりするなどの罪で有罪判決を受けて服役を繰り返していたという証拠を示しました。

そのうえで「わいせつや危害を加える目的で声をかけたのではないか」と質問しました。

山田被告はそれに対し「それはありません」と否定。

山田被告は逮捕直後に「車内に同乗者がいて、同乗者が女の子(平田さん)を殴るなどした」と供述。だが、その後は黙秘に転じていました。

この日、そこを検察に指摘された山田被告は「言ったことは嘘」としたうえで、

「出頭しようと思っていたが逮捕されてパニックになった。自分でも何と答えていいか分からずそう答えてしまった」と述べた。

竹林に星野凌斗くんの遺体を放置するさい、スマホで「DNA鑑定」などと検索していたことについては「自分のよだれが星野くんの服に付いたから」と説明しました。

また、今回は、弁護側の証人として山田被告の精神鑑定を行った犯罪心理学者から「何度も懲役刑を受けている背景には発達障害があった」と証言がありました。

第8回公判(11月20日)最新情報Facebookにカレーを!?

山田浩二被告は「自分が声をかけなければこんなことにはならなかった」と述べ、改めて遺族に謝罪しました。

取り調べについては「一言でいえば違法」「ごっついひどいことを言われた」と訴えた。

しかし、検察側からの質問で
「事件翌日に千葉県のカレー屋で、写真を撮って『期待を裏切らない美味しさ』とFacebookに投稿している。2人のことは頭になかった?」

との問いに対して山田被告は、
「そのときは、カレーのことしか考えてなかったので」

と、事件の翌日には『平田奈津美さんと星野凌斗くんのことは頭になかった』と語りました。

さらに検察側から強制わいせつなどの罪で11年にわたって服役していた前科について
「今、被害者たちは元気に生活しているか分かりますか?」

と、質問されると山田被告は
「いや、分かんないです。名前も覚えてないし。どんな事件だったかも記憶にないので分かんないです」

この日は遺族3人からの意見陳述があり

平田奈津美さんの姉からは「絶対に死刑にしてほしい」

平田奈津美さんの母親からは、
「少しでも自分の罪を軽くしたいためのただのパフォーマンスです。
 何重にも何重にも(顔や体に)巻かれたガムテープ。あの男のしたことは人間のすることではありません。
 死刑判決がくだされることを強く強く望みます」
と語った意見陳述の全文が新聞に掲載されていました。

奈津美はとても動物が好きな娘でした。ハムスターをとてもかわいがっており、餌をあげたり、かごを洗ってあげたりしていました。外食に行くにも、外出用の小さなかごに入れてハムスターを連れて行っていたくらいです。

毎年、奈津美の誕生日には、好きな手巻きすしを作ってあげていました。それをおいしそうに食べてくれる姿は、もう見ることができません。それでも、奈津美の誕生日には「食べたがっているかな」と思い、手巻きすしを作ってあげています。

小学校で親子レクリエーションがあったときに、手作りのクッションと手紙をもらいましたが、恥ずかしかったのか「読んだらダメ」としまってしまいました。事件の後、その手紙が出てきました。「ママありがとう、ママの子供で良かった、そしてこれからもよろしく」と書いてありました。涙が止まりませんでした。もう何もしてあげられないのにと思うと、苦しくて、悲しくて、悔しい、とこみ上げてきました。

中学校に入学して制服を着たとき「上着の袖が長い」と言いました。私は「3年生まで着るから、その頃までにはちょうど良くなるから」と言いましたが、その制服も3年間着ることはできませんでした。

本当に辛いとき、とても会いたい時、制服を抱きしめて娘の名前を呼びます。

「なっちゃん、まだまだいっぱいしたいことがあったよね、学校にも行きたかったよね、家に帰ってきたかったよね、本当に悔しかったよね」。そう言って娘によく話しかけるんです。

毎日毎日あの娘のことが思い出されます。事件から3年間、奈津美のことを思い出さない日は1日もありませんでした。そして、これから先もずっと同じような毎日を過ごすのだと思います。

奈津美を奪ったあの男は本当に憎い。言葉には言い表せないくらいです。

奈津美がいなくなって2、3日後、奈津美と会いました。冷たいベッドの上に寝ていました。「なっちゃん、なっちゃん」と何度も声をかけましたが、何も言いませんでした。その時は、なぜ、なぜ、そういう思いだけでした。

その後、私は弁護士についてもらいました。あるとき、弁護士から、奈津美の遺体の写真などを見るかと聞かれました。迷いましたが(見ることを)決心しました。奈津美のためにもという気持ちでした。そして、遺体が見つかったときの状態、あの男が奈津美にしたこと、全部見ました。

それらを見ようと決心するまでの私の気持ちが分かるでしょうか。

写真で見た顔には、何重にも何重にも巻かれた粘着テープ。体の左側には数え切れない切り傷があり、特に左腕の傷は大きく裂けていました。ショックを受けると同時に、怒りがこみ上げてきました。

奈津美は私たちにどれだけ助けを求めていたのでしょうか。ママ、パパ、助けて、助けて、と何度も心の中で叫んでいたと思います。奈津美は、あの男にも言っていたかもしれません。心の中で「助けてください」、そう叫んでいたかもしれません。でもあの男は、奈津美を殺しました。

私はこの裁判で、奈津美があの男にされたこと、そして奈津美がどういう風にして亡くなったのかを知ってもらいたいのです。

あの男のしたことは、人間のすることではありません。あの男は殺す気はなかったとか嘘ばかり言っています。私は、絶対にあの男を許すつもりはありません。謝罪をしてほしいとも思いません。謝罪するくらいなら、私の奈津美を返してほしい、元気だったあの頃の姿にして今この場所に連れてきてほしい、それだけしか望みません。

裁判が始まった日、テレビであの男のイラストを見ました。土下座して涙を流していた、ごめんなさいと言っていたと知り、さらに腹が立ちました。あの男のしたことは、少しでも自分の罪を軽くしたいためのただのパフォーマンスです。

その後の主張も、本当に腹が立つばかりでした。自分に都合の悪いことをすべて奈津美のせいにしています。まったく罪の意識、反省の心がありません。

せめて、「私が2人の命を奪いました。死をもって償います」と言ってくれたら、真実を話してくれたら、私たちにも伝わってきたと思います。

私は、あの男に死刑判決がくだされることを強く強く望みます。できれば、私たちの手で奈津美がされたのと同じことをしてやりたいと思います。

裁判官と裁判員の皆さんには、私たちの思いと奈津美の無念を分かっていただきたいです。

引用:産経新聞

——————-
星野凌斗くんの母親
「私の心の穴は、凌斗という穴なのです。凌斗以外に埋めることなどできないのです。『返して欲しい』それ以外、何もありません。」
と語った全文も掲載しておきます。

凌斗は本当に優しいお兄ちゃんです。

私が夕方に仕事から帰ると、妹と遊んでくれていました。事件が起きた後、妹たちから初めて聞いたのですが、夜、先に子供たちが同じ部屋で寝るとき、凌斗が幼い次女の体をトントンして寝かしつけていたそうです。そんな妹思いの凌斗は今はいません。

家に居がちだった凌斗が、夏休みの少し前から少しずつお友達と外で遊ぶようになり、うれしく思っていました。

お友達の家でのお泊まりも、このころから少しずつ行くようになりました。お泊まりするときは必ず私に伝え、必ず帰ってきました。私も、凌斗が約束を守るのであればお友達との時間も大切だと思い、夏休み中は、お泊まりすることを許していました。

それが、まさかこんなことになるなんて全く考えていませんでした。

8月12日の夜、奈津美ちゃんに会いに行った凌斗を送り出しました。凌斗は普段と変わらない笑顔でした。これが私の見た凌斗の最後の笑顔です。

15日、高槻の事件を知りました。それでも、凌斗とすぐには結びつきませんでした。周りからの色々な情報に「凌斗と関係ない」と自分に言いきかせました。凌斗のことで頭がいっぱいになり、眠ることもできなくなりました。霊能者の所も尋ねました。とにかく元気に帰ってきてほしいという一心でした。

16日、高槻の事件の女の子が、奈津美ちゃんだと分かりました。凌斗が同じ目にあっていないか、怖い思い、痛い思いをしていないか。それでも私は、凌斗は生きていると信じ続けました。

私は帰ってからの凌斗との生活のことばかり考えていました。いや、考えるようにしていたのだと思います。ここから先の記憶は無くなっています。自分が何をしていたのか、何を考えていたのか。

凌斗を警察に迎えに行ったことは覚えています。私が迎えに行ってあげないと。その思いだけです。そして、凌斗が私の元に帰ってきてくれたことに、本当に安心しました。変わり果てたわが子を、それでもいとおしかった。本当に帰ってきてくれたと喜びさえ感じました。

でも、それは私自身が崩壊していたのです。日を追うごとに、こんな結果なんて望んでいなかった。生きて帰って来ることしか望んでいなかったのに、という思いがこみ上げてきました。

地獄の始まりです。

朝、子供たちの名前を順番に呼び起こします。思わず「凌斗」と呼んでしまいます。それが、当たり前だったのですから。日常に、当たり前にわが子の名前を呼ぶことさえ、あの日から奪われました。

これがどれほどの苦しみか。私は生きていることの方が苦しいです。

なぜ? なぜ凌斗だったの?

3年間が、その繰り返しです。

凌斗がいれば、高校1年生。高校生を見かけたら探してしまいます。凌斗がいるんじゃないかと。法廷に立っている今も凌斗が帰ってくるのではないかと、どこかで思っているのです。

凌斗の夢をみて目が覚めることがあります。夢なのか現実なのか分からなくなります。目が覚めてからの現実につぶされそうになります。

事件のことを何も聞きたくない、知りたくない。これが本音です。被告人の言い訳だけを聞かされることは苦しみでしかありません。私が事件の内容を聞いたからといって、結果が変わるわけではありません。

私が裁判に出ているのは、私が母親として今できることは裁判に出ることしかない、という思いからです。ただ凌斗の母親でいたいんです。

初公判の日に被告が土下座をして謝ったことを後で知りました。私はその場にいなかったのです。そのことを聞いて、被告はただただ自己愛が強い人間で、自分が満足するためだけのパフォーマンスをしたとしか思えず、全く心に届くものではありませんでした。

被告の言い訳は被害者への配慮が全くなく、自分のことしか考えていません。勝手な話を聞く度に、嘘をついているという思いが強くなりました。

苦しみに終わりはありません。

時間など解決してくれません。

私の心の穴は、凌斗という穴なのです。凌斗以外に埋めることなどできないのです。

「返してほしい」それ以外、何もありません。

本当に、ただ、返してほしい。それ以外、考えられません。

引用:産経新聞

この間、山田被告は、上を見て目をつむりながら聞いていました。

ネットの声

誰もが山田が犯行したっていうわかる反論でしたね。
ある意味 語るに落ちたって事ですね。これで減刑などあったら大変ですよ。

供述が矛盾している。星野さんの様子がおかしいと言ったのは平田さんであると供述しているのだから、彼女が事情を話せば疑われることなどない。
裁判官も裁判員も気づいているだろうから、不合理な供述ばかりして反省していないという心証を持つだろう。その結果は。

どうにか責任逃れをしようと、いい様に言い訳しているとしか感じられない。被害者親族のお気持ちは決しておさまらないと思います。

やはり、だれしもが責任逃れしているようにしか見えないようですね。

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まとめ

一貫して山田浩二被告は、殺害された被害者の行動が原因で、事件が起こり、

星野凌斗くんは殺していない。平田奈津美さんはパニックになり殺害してしまったと語っていますが、

それが真実ならカッターで平田さんを切り刻むというのは理にかないません。

カッターで切り刻むことを「ショック療法で生き返るかと思う」というのは誰にも認められないでしょう。

複数の証拠隠滅をしっかり図っていますので、いろいろと無理がある証言だと思われます。

死人に口なしをいいことに、言いたい放題言っている山田浩二被告には正当な判決が下されることをのぞみます。

それでは、最後まで見ていただきありがとうございました。

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