こんにちわ。やまだです。
堀田伸輔容疑者は12年前の2006年、東京都新宿区のマンションの一室で、元妻の連れ子で当時11カ月だった三女の桜井亜衣(さくらいあい)ちゃんに暴行し、
頭の骨を折るなどして死亡させた疑いが持たれています。
なぜ逮捕まで12年かかったのか、その間、堀田伸輔容疑者はどうしていたのか真相にせまってみたいと思います。
事件の概要
報道各社が以下のように伝えています。
12年前、東京・新宿区で、生後11か月の娘に暴行を加え、死亡させたとして、42歳の男が逮捕された事件で、男が事件直後に警視庁から事情を聞かれた後、5年間にわたり所在不明になっていたことがわかった。
2006年、新宿区のマンションで、当時結婚していた女性の生後11か月の娘に暴行を加え、死亡させたとして逮捕された堀田伸輔容疑者は9日朝、送検された。
その後の警視庁への取材で、堀田容疑者が事件直後に事情を聞かれた後、5年間にわたり所在不明になっていたことがわかった。堀田容疑者は、「逮捕されると思った。やばいと思った」と話しているということで、警視庁は引き続き、暴行の状況を詳しく調べている。
引用:日本テレビ系(NNN)
堀田伸輔容疑者の基本情報
氏名:堀田伸輔(ほったしんすけ)
年齢:42歳
職業:自称建設作業員
住所:神奈川県相模原市南区当麻(たいま)
事件の詳細
2006年12月30日に、当時11カ月だった桜井亜衣(さくらいあい)ちゃんが頭に強い衝撃を受けて頭蓋骨骨折などの重傷を負い病院へ搬送。
その後、2007年3月に病院で死亡しました。
亜衣ちゃんが病院に搬送された直後、容態を聞かれた堀田伸介容疑者は「こたつから落ちて頭を打った」と話していたそうです。
堀田伸輔容疑者は事件直後の平成2007年1月上旬に家を出たあと、
住民票を移さず転居を繰り返し、2012年に亜衣ちゃんの母親と離婚するまで行方が分からなくなっていたそうです。
2012年に居場所を突き止めた新宿署が事件について任意で聴取した際には、暴行を否定していました。
亜衣ちゃんが事件の約2週間前まで、約半年間にわたり都内の乳児院に預けられていたことも判明しています。
現在の捜査によると堀田容疑者は「逮捕されると思った。やばいと思った」と話しているということで、
確信犯として逃亡をしていました。
また、動機については「自分に懐かなかったから」とのことで、
当初こたつから落ちたという供述も、実際は落としたらしく、亜衣ちゃんが泣くとよく手を上げていたそうです。
当時の亜衣ちゃんの司法解剖の際に免疫に関わる臓器「胸腺(きょうせん)」が萎縮していましたが、
それは虐待を受けた子どもに見られる特徴であったと判明しています。
ネットの反応
てことは生後4カ月くらいで母親の体調不良?で乳児院に預けられ 戻って来て2週間で既に入籍していた義理の父親から虐待受けたということ?
最初からシングルマザーだったのをこの容疑者と入籍?よくわからないけど母親もこの子に愛情があったのかどうか。子供が可哀想。
こういう明らかに力の無さそうな親から早い段階で強制的に子供を離して特別養子縁組に出せる制度とか出来ればいいのに。
乳児院を退院して2週間で死亡し、頭蓋骨を骨折していたのに何故当時虐待と判断されなかったのかが不思議だ。
と、当時の警察や児童相談所などの対応が疑問視されています。
当時は虐待死が今ほど社会問題になっていなかったため、こういった後から逮捕されるケースが増えてくるかもしれませんね。
まとめ
東京都などによると、母親の体調不良が原因といい、虐待などの相談はなかったそうです。
ただし亜衣ちゃんが病院に運ばれた後に病院から「虐待の疑いがある」と都の児童相談センターに通告していたことがわかっています。
通告を受け児童相談センターは母親から話を聞くなど調査しましたが、亜衣ちゃんが亡くなり、
支援の必要がなくなったことなどから虐待と認定せずに、調査を終えたということです。
児童相談センターは「当時の対応は適切だった」として、くわしい経緯を調べることも検討するとのことですが、
今さら調査しても亜衣ちゃんは帰ってきません。
先日、三好征宗容疑者のニュースでも子供が犠牲になっていますので、改めて児童相談センターや警察には対応を考えてもらいたいですね。
第二、第三の被害者が出ないよう祈るばかりです。
それでは、最後までみていただきありがとうございました。